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カップヌードルミュージアムに行ってきた。

久し振りに更新します。

今年の2月、カップヌードルミュージアムに行ってきました。

横浜みなとみらい駅10分のところです。

海がすぐ近くなので寒いこと寒いこと。だからといって別にカップラーメンミュージアムは悪くない。

 

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入口のすぐ上にカップヌードルを発見。

入口左手の大きな階段を登って展示コーナーへ。当日チケットは売ってますが、オリジナルカップラーメンを作りたかったので事前予約からのチケット購入キメました。

 

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まず初めに今まで発売された日清カップヌードルやインスタントラーメン全商品が壁全面のアクリルケース内に展示されてました。

こんなにあったんだなぁー。

 

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その次に安藤百福さんのチキンラーメン&カップヌードル誕生秘話ムービーを見て、実際に作られた工程の歴史を拝見。

安藤百福さんは掘っ建て小屋を作ってチキンラーメン製造に勤しんでいた様子。

 

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多角的な視点を持つことが大事、とのことでカップヌードルの巨大なオブジェが。どうやって設置したのか気になりました。

 

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偉人たちを交えた安藤百福さんの写真パネルもあり。

 

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安藤百福さんの銀の像もあり。

ここに来るまで全く分からなかったけど、安藤百福さんは本当にすごい人なのですね。遅咲きでしたが晩年は幸福そうで何よりです。

ただ展示だけでは安藤百福さんがラーメンを企画してどうやって商品化したのかあまりよく分からなかったのが残念。

元々日清の社員だったのかと思ったけど、その前に色々事業失敗の経歴がありますから不思議に思っていました。

日清の創業者だと後から調べてわかったのですが、書いてあったっけ?

それとも、常識すぎてもはや自明だったのかな…(無知すぎた?)。

 

展示の合間にオリジナルカップヌードルも作ってきました!

カップヌードルに自作で絵や装飾をしたあと、自分で麺を詰めて、具を選べます。

 

 

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 こんな感じで絵を描きました。

最初のひよこちゃんが失敗したので、偽物。

次に描いたひよこちゃんが本物です。

職場でこの写真見せて引かれました。

最後はパッキングし、持ち帰られるように首から下げるよう包装できます。

家に帰ってからも一ヶ月はその状態で展示できます。

 

小学生向けに麺から作れるカップヌードルの講習も行われているようでした。

小学生になりたい。

 

最上階にもお子様向けにアスレチックあり、ご飯スペースもありです。

2018年がチキンラーメン誕生60周年ということで、ケーキも展示されていました。

 

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ご家族、カップル、友達同士のどのパターンでも楽しめる施設でした。

是非是非行ってみて下さい。

 

 

 

 

堀越二郎はクズ野郎?宮崎駿『風立ちぬ』(2013)

早いもので公開から4年も経ってしまっている。

初めて『風立ちぬ』を見た時、なんだこれ、と思ってしまった。主人公の船越二郎が結核を患っている菜穂子の前で煙草を吸い始めたからだ。

映画の中で二郎は善良に振舞ってはいるけど、すっかり妹との約束を忘れたり、哀れみしか感じられなかったのか孤児にお菓子をあげて拒否されたりと、じわじわ偽善者っぽい表現がされている。

菜穂子の前で煙草を吸い始めたところで「こいつクズじゃん…」と確信に至る。自分のことしか考えてない奴にしか見えなくなる。

そして宮崎駿は戦争否定派なので、この映画が戦争を賛美してないとすると、武器が好きだけど戦争は嫌だっていう自分を肯定する為の映画だったのかなーと思った。

 

でもとある批評サイトで「菜穂子も自己中心的だ」という指摘を読んで、確かにそうだなと思った。

だって結核を治したかったら大人しく入院して安静にするよなぁ、愛する人とまた暮らしたいって思うなら尚更。二郎は入院すれば会いに来ないんだろうけど、普通の感覚ならそこで男女として別れる。でも菜穂子も自己中心的だから、悲劇のヒロイン的な道を歩むのが美しいと思ってたんだろうなぁ。

その批評では最終的に、自己中心的で矛盾を持つ人は根本的に同じじゃない、違う道を歩み、違う夢を見ている私と他人を混同するな、という結論に読めた(違うかもしれないけど)。

私はどうしても戦争と結びつけて考えてしまうのだけど、戦争を否定したり賛成したりするのって、例えば善良とか悪人とかどんな立場でも関係ないんだなって思うきっかけになった。

私は戦争否定派だけど、二郎みたいに薄情なところあるし、偽善者になったりもする。でもそれは戦争に対して持つ意見とは全く相関しないものなんじゃないか?と。だって一緒だったら何も主張できなくない?

それを考えたら、わりと肩の力抜けた。いつも気張ってる必要ないし、自分の思う通りに生きるって大事だなって。

自己中心的で、矛盾を抱えるって普通によくあることなんだよね。

 

風立ちぬ』は弁解というよりも、そうしたスタンスの映画なのかもしれない。

映画『黒い家』(1999)を見た。サイコ・ホラーの真髄

久々にホラー映画を見ました。

あまりにも有名過ぎる貴志祐介原作の『黒い家』です。今までなぜ見てなかったのか。

 

妹と一緒に見たんですがずっとカメラワーク独特だな!台詞に対して周りの音がうるせぇな!と二人で言い合ってました。声小さいの無理だからそれだけ直してほしい。

内容は保険金殺人がテーマ。

保険会社にお勤めしてる主人公がとある家族から呼び出されて家に訪問すると子供が首を吊っているところを目撃。その後執拗に夫婦に保険金の給付を求められ…という導入。

原作と舞台や主人公の過去やら色々違ったり語られなかったりと、ちょっと魅力半減してるのは置いておいて。

この映画はサイコ・ホラーとしてはかなり優秀だと思う。

うーん、原作読んでないから正確には物語??映画と小説のネタバレがごっちゃになってます。

 

どっかの書評では読者にミスリードを起こそうとしている…と書かれていたけど、この話の見どころってそこじゃないんじゃ?と思う。

だって誰が見たってこの家族狂ってるじゃん。読者はみんなわかってるし、推理なんかしようがないのでは。

単純にわかりやすい狂人が、主人公の過去によってフィルターかけられて、主人公がミスリードを起こしてしまうのがハラハラする。

そんで全力で潰しに来る大竹しのぶが怖い。

こんな人間世の中に本当にいるのか…って思うと、普通に暮らしててある日突然襲われるのも妄想ではないんじゃ?と思えてしまう。

まあ実際いるかわからないけど。

こういうサイコ・ホラーもっと知りたい。

貴志祐介といえば『青い炎』は読んだんだけど…あれは全然サイコ・ホラーじゃないよね。すごくやりきれなくなったなぁ。

よし、『悪の教典』、見てみよう。

 

 

 

 

久々の更新

久々に記事を書きます。

もう院生じゃなくなってます。

就職して一年半経ちましたが、まあブラックなところで働いておりますのでそろそろ転職しようかと。

転職は学芸員に本腰入れて就活します。

『おそ松さん』について

8月以降なんも記事書いてなかったな。

 

最近修士論文を書いております。

新しい作品を観たり観なかったりですが、東中野で、沖縄の米軍基地にまつわる方々にインタビューをしたドキュメンタリー映画、三上智恵監督の『戦場ぬ止み』は見ました。私自身、全然把握してない問題ですが、勉強になりました。沖縄はいじめられてるとか、ハブられてるとか、押し付けられてるとか、そういう印象が強化しましたね。

あとはアニメの『NOIR』(2001)見始めてます。遅いですね。すみません。OPの神アニメ感は異常。絵もきれいだし、そこはかとなく漂う百合な雰囲気がいい。

twitterともリンクを繋いだので、スローペースで読者が増えていけばよいなと思います。それまでここ、ほんとに誰も受け止めない文章を書き連ねたところだな(笑)。

さて最近は『おそ松さん』好きですね。あ、いやがちでズブズブにハマってるのは『悪魔くん』なんだけど(笑)。平成版のおそ松くん見てましたけど、あの同じようなやつらだった六つ子に、キャラ付したのは本当にいいアイディアですね。目の付け所が違うわー。しかもみんな上手く「同じ顔」のバリエーションなんだもの。

じつは修論ではキャラの同一性のことを扱ってるので、興味深い例だなぁと思っています。twitterではよく「『おそ松さん』の二次創作だけは自分絵にしない」ことが議論されていますが、おそらく六人が「同じ顔」にならないと創作意欲がもたないんでしょう。つまり、六つ子はみんなやっぱり根底では同一人物なんですよ。二次創作するにはCPのどちらも自分に似てないといけない、ナルシシズムな欲望があるわけです。CPが恋愛することによって、かろうじて別の人間に見えているだけ。

あんまり話すと身バレしそうなのでやめときましょう。

では、これからよろしくお願いします。

渚カヲル育成計画について

細田守といえば貞本義行貞本義行といえばエヴァでしょう。

そこから連想ゲーム的に「渚カヲル育成計画」を思い出して、プレイ動画を観た。

渚カヲル育成計画」は、ガイナックスから出たゲーム「碇シンジ育成計画」の裏シナリオのようなもので、赤木リツコ博士の立場でゼーレから送り込まれた渚カヲルを教育し、碇シンジを誘惑させ、NERVの司令塔であり、シンジの父親である碇ゲンドウから引き離すという内容。

ニコニコ動画で見たので、このプレイ動画にはたくさんのタグが張り付けられている。「公式が病気」「ネル腐」…まあ要するに大きなお姉さんたちが最大手ガイナックスによって大量に萌えさせられている。私も萌える一人である。

渚カヲル育成計画」には誘惑に成功する正規エンドのほかに、3つのエンディングが用意されている。シンジにすっぽかされるバッドエンド、シンジに誠実に断られる準バッドエンド、NERV寝返りエンドだ。

このうち、寝返りエンドがとてつもなく切ない。超切ない。カヲルはシンジにゼーレの目論みを全て明かす。シンジは素直に君を好きでいられなくなった、なぜそんなことを僕に言うの、と怒鳴る。そこでカヲルは「僕も、君を好きになってしまったからさ…」と漏らす。そして「君はここで戦わなくてはならない、僕も一緒に戦う」と伝えるのだ。

なんという美しい恋愛だろうか。ゼーレを倒したところで、碇ゲンドウ人類補完計画もまたシンジから拒否される運命にあるために、戦う相手は複雑で、難しい。でも、ここで、カヲルがこの選択をすることが何よりも美しいのだ。

誰もがQの終わりをこのようにして欲しかったとコメントしている。私もそう思う。

ご存じ、エヴァの美少女はほとんどがシンジを拒絶する。シンジのアイデンティティの回復をBLで補うということは、男性にとっては非常に皮肉でしかない。腐女子はその踏み台にされている感が拭えないのだが、それでも萌えてしまうのが性なのである。

細田守「時をかける少女」(2006)を観た。

公開されてからずいぶん経つのですが、やっとのことで、先週「時をかける少女」(2006)を観ました。

私は天邪鬼なので、評価されている割に本当に面白いのかな…とかちょっと不安になっていたのですが、めちゃくちゃ面白かったですはい…。功介を助けるために何度もタイムリープする疾走感といいますか、焦りが含まれた一連のデジャ・ヴュのような場面は見どころだと思います。

しかし、やはり恋愛要素が絡んでくると前のめりになってしまいますね(笑)。千昭は全くタイプではないのですが、途中からすごくかっこよかった。チャラい男が実はシリアスな、しかも知的な深さを持っていると知るとギャップがありすぎて萌えますね…。細田氏わかってる。

まあ、それはよいとして。最後まで見ながら予想する限りだと、真琴と千昭がくっついて、千昭が元の世界に帰らないものだと思っていたのですが、実際そうならなかったので驚きでした。原作の筒井康隆版すら読んでいない状態なので、それを読んだ方々には予想がつくのかもしれませんが。私がハッピーエンドの物語を観すぎている感ありますな。

でも、なぜ私はハッピーエンドになると思ったんだろうか。シナリオが、私の思い描くタイムリープものと違っていたのかもしれない。

それにしても最後の「未来で待ってる」は切なすぎるだろう。荒廃した未来なんて、真琴の時代からは結構離れてるんじゃないのか?それならもう会えねーよ。おそらく真琴もそれがわかってるんだろうな。はぁ、なんちゅう切ない結末なんや。

偉そうに書けるほど映画は見ていないのですが、金曜ロードショー細田守特集が組まれてしまう理由がわかりました。いや「サマーウォーズ」もめちゃくちゃ面白かったし、理由はそれなりにわかるのですが、私の好みと合致するかがわからなかった(結局はそこにオチがつくあたりダメダメな感想…)。「バケモノの子」もぜひ見に行こう。

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